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海賊とよばれた男 映画感想・ネタバレ 魅力溢れる男の話だった

2016/12/16  | 685 views

400万部突破の百田尚樹さん原作の小説「海賊とよばれた男」の映画を観てきました。
出光興産の前身である出光商会の創業者、出光佐三がモデルになっており、その20代からの半生を描いた作品です。
原作:百田尚樹、監督:山崎貴、主演:岡田准一という「永遠の0」の制作陣が再び組んだ映画になっています。
上映時間は2時間半の長さですが、途中で集中力が無くなることがなく、楽しめるものでした。

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作品紹介・あらすじ

1945年(昭和20年)8月15日。世界中を敵に回した、日本の戦争は終わった。東京をはじめとした主要都市は徹底的に爆撃されて瓦礫の山となり、海外資産のすべてを失って莫大な賠償金が課せられようとしていた。これから日本はどうなっていくのだろうかと、全員が途方に暮れて失意に包まれているとき、毅然と店員を集めて話す男がいた。国岡商会の国岡鐡造店主である。

わずかに残った店員を前に、鐡造は「愚痴をやめよ、愚痴は泣きごとである。亡国の声である」「日本には三千年の歴史がある。戦争に負けたからと言って、大国民の誇りを失ってはならない。すべてを失おうとも、日本人がいるかぎり、この国は必ずや再び立ち上がる日が来る」と訓示を述べた。だが、失望から立ち直り武者震いする店員たちに、売るべき商品「石油」がそもそもないという現実が襲いかかる。「店主、このままでは、国岡商店は潰れます。涙を呑んで人員整理を」という進言に、鐡造は「馘首はならん!」と解雇を断固拒否する。戦後、住処も食糧事情もままならない情勢下で、日本の復興に向かって闘う男たちの物語が始まった。
出典:http://kaizoku-movie.jp/

 

作品を観る前に

この作品は実話に基づいた話で、今の出光商会の創業者である出光佐三がモデルになっています。
物語の舞台は舞台は創業した北九州の門司から始まり、華北、華南に販路を開拓させたり、第二次世界大戦、太平洋戦争などを経て、日本人として誇り、信念の強い男で、危機においても機転と度胸で乗り越えていく様を描いています。

ロケ地として神戸でも撮影された

神戸税関

住所〒650-0041
神戸市中央区新港町12−1

日本で占領政策を行うGHQ本部として登場。時代を感じさせる家具や、ドアノブにはくすんだ色を塗る「エイジング」が施されるなど、細部までこだわった美術装飾も見どころ。

 

神戸大学(六甲台キャンパス)

住所〒657-0013
神戸市灘区六甲台町2

商工省で鐵造(岡田准一さん)が敵対する石油配給統制会社社長(國村隼さん)と顔を合わせる緊迫のシーンを、国の登録有形文化財である兼松記念館で撮影。

 

海賊と呼ばれた由来

北九州の門司で機械油の代理店「国岡商店」を創業した当初、国岡鐵造は漁船(ポンポン船)相手に海の上で軽油を安く売っていた。
ポンポン船のエンジンは灯油が燃料だったが、安価の軽油を代替品として売ることと、海の上だと別の同業者の販売地域を気にしないくていいという強引な考え方でから同業者によく思われなかった。
その強引でゲリラ的な販売方法で会社は成長していき、周りから比喩表現として「海賊」と呼ばれるようになった。

 

キャスト

  • 国岡鐵造 / 岡田准一
    国岡商店の創業者にして店主の主人公。モデルは出光興産創業者の出光佐三。
    信念・志が高く、危機に陥っても機転と度胸で乗り越えて、会社を大きく育て上げた。
  • 東雲忠司 / 吉岡秀隆
    国岡鐵造の才能・可能性に惚れ込んで国岡商店に転職。
    戦争終結後復員し、国岡商店の大黒柱として活躍。
  • 長谷部喜雄 / 染谷将太
    もともとは漁師でポンポン船で働いていたが、国岡鐵造の魅力に惚れて、国岡商店に転職した一人。
    明るい性格で国岡の精神的な支えだったが、太平洋戦争で戦死。
  • 武知甲太郎 / 鈴木亮平
    GHQで通訳を務めていたが、国岡商店の人たちの仕事に対する姿勢に惚れ込んで入社。
  • 柏井耕一 / 野間口徹
    国岡商店の生え抜きメンバー。常に冷静沈着なブレーン的存在。
  • 甲賀治作 / 小林薫
    創業当時からの番頭的存在。国岡商店のNo.2として、会社をまとめ上げる。
  • 藤本壮平 / ピエール瀧
    元海軍大佐で、終戦後仕事がない国岡商店に入社し、ラジオ事業を手がけた。
  • ユキ / 綾瀬はるか
    国岡鐵造の最初の妻。門司時代の若き日の鐵造と国岡商店を支える。

 

ネタバレ

映画では60歳くらいの鐵造の主観で話は進んでいきます。話の中での回想として20代などの話が出てきて、順番を入れ替えて編集されています。なので映画とは異なりますが、わかりやすく時系列でまとめています。

1922年、海賊と呼ばれた時代

27歳になった鐵造は、北九州の門司で独立し、機械油の代理店「国岡商店」を営んでいた。
石油がまだ普及していない時代で営業は苦戦続きだった。同業者からの嫌がらせや、取引先からの袖の下の要求などに屈せず、自ら定めた社是「士魂商才」を胸に、仕事に打ち込んでいた。

しかし、経営に行き詰まる。鐵造は、独立する時に出資してくれた木田章太郎に弱音を吐くが、木田からは「3年でダメなら5年、10年、とことんやってみろ。それでもダメなら共にコジキでもしよう」と激励され、ふたたび気合を入れるのだった。

そんな窮地に、鐵造は焼玉エンジンで動く漁船(通称:ポンポン船)向けに、灯油の代わりに軽油を格安で売ることを思いつく。

翌朝から販売の縄張りがない海上で、軽油の販売を始める。遠くからも見えるように旗を振り、漁船へ販売活動を行う。

これが見事に当たり、国岡商店は成長していった。やがて、鐵造は「海賊」と呼ばれるようになる。

この頃に、長谷部や東雲が入社する。また、商売が軌道に乗った鐵造は、兄の紹介でユキという妻を迎える。

満鉄用の凍結しない車軸油の開発

軽油の海上給油販売で力をつけた国岡商店は、満州への営業を開始していた。

サンプル品を持って、長谷部と共に南満州鉄道の現場へ営業をかける二人。
冬場に凍らない機関車の車輪に使用する車軸用の潤滑油を安く提供することで商機を見出した鐵造は、大連の満鉄本社でも営業を開始する。

ユキとの間には子供が恵まれなかったが、この満州への営業が終わったらゆっくり旅行でも行こう、とユキを労い、鐵造は満州へ出発する。

満州では、寒波により頻発する車軸の焼付きを防ぐための、不凍油を実証実験するための場に国岡商店と石油メジャー数社がプレゼンを行われる。機関車を実走させ、その後の状況を比較チェックすると、ナフテン系の石油で精製した国岡商店の車軸油の性能が最も優れている結果となった。

しかし、メジャー系会社が取引を股縄なければ全ての取引をしないとの脅迫に負けた満鉄本社は、国岡商店の車軸油を採用しなかった。

さらに帰国すると門司の家にはユキがいなくなっていた。兄を問い詰めると、跡継ぎもできず、一人で鐵造を待つ寂しさから離縁して実家に帰ってしまったという。
愛する妻を守れず、悔しがる鐵造。

1941年12月、長谷部の死

1941年12月、太平洋戦争が勃発し、57歳になった鐵造。
ABCD包囲網により、石油が輸入できなくなった日本は、南アジアの石油基地を占領した。
石油統制配給会社のあからさまな利権確保への動きを嫌った陸軍は、南方基地での石油取扱業者を国岡商店に一任することになった。

陸軍から、何日あれば南方に人員を派遣できるか尋ねられた長谷部は、自信を持って「1週間あれば200人はOK」とその場で即答した。
長谷部は、南方の石油基地への移動に陸軍機に同乗して出向いたが、到着寸前で米軍機に撃墜されて無念の死を遂げた。
長谷部の死を知らされた鐵造は呆然とするのみだった。

1945年、再出発

1945年夏。アメリカ軍に対抗できる航空戦力を完全に失った日本は、東京大空襲によって焼け野原となっていた。

戦争が終結した2日後。1945年8月17日、解雇に怯える社員たちを前に、鐵造は「日本人としての誇りを失わず、全員一致して社業を再興させよう」と訓示を行った。当面できる仕事はなかったが、社員を誰一人クビにせず、守り抜くと皆の前で誓った。

その日、鐵造は石油統制配給会社を訪問し、取り扱う石油を融通してもらえるように鳥川相殺に頭を下げて頼み込んだ。
戦前に関係が悪化していた石統の鳥川に相手にされない鐵造。

鐵造(60歳)ラジオ事業を立ち上げる

60歳となった鐵造のもとに、元海軍大佐の藤本という男が訪ねてきた。GHQからの依頼で、銀行から融資を受けてラジオ修理の仕事をやらないかという。
鐵造は藤本をそのまま入社させ、ラジオ部を立ち上げる。
苦心した末に銀行からの融資が決まり、立ち上がったラジオ部は、戦後まもなく石油業務ができなかった国岡商店を支えた。

その頃、全国の石油タンクの底に残る石油をさらう業務を受注する国岡商店。
他社がやらないキツくて厳しい業務だったが、鐵造は率先して国益のために引き受け、復員してきた東雲達がそれを担当することになった。
タンクからの汲み出しは難航したが、鐵造の激励などもあり、2年後の1947年には、見事に全てやりきる。

同年、GHQで通訳を勤めていた武知が、国岡商店の仕事ぶりに惚れこみ、アポなしで国岡に「社員にしてくれ」と訪れる。
その場で採用を即決する鐵造。
そして、武知は、石統に変わって設立された石油配給公団が指定する「販売業者」選定要項案に、国岡商店を排除するための一文が入っていることを鐵造に報告した。

早速武知を中心に、GHQへの働きかけを行い、石油配給公団の選定要項を覆すことに成功する。
晴れて国岡商店は、国内で正式に石油を販売できる業者になった。
GHQが国岡商店に取り計らったのは、武知の動きもあったが、前年までの石油タンクをさらう業務を評価してのものだった。

1951年、巨大な石油タンカー「日承丸」

石油メジャーからの買収話もあったが、日本人としての石油会社にこだわった鐵造は断る。
1951年自社の巨大な石油タンカー、「日承丸」の進水式を行った。
メジャーとは敵対関係にあったが、何とか自前の仕入れルートを確保して、日本中に石油を供給をするのだった。

しかし、メジャー各社から仕入れルートを絶たれ、日々の仕入れに苦慮するようになっていく国岡商店。
鐵造は、起死回生の一策として、石油メジャーの色がついていないイランから輸入することを思いつく。

イギリス、アメリカと対立していたイランの国際情勢を考えると拿捕される可能性が高く、猛反発を受けた鐵造だったが、それでも鐵造の意志は固く、自前の日承丸を動かして、イランに船を送った。

イランでは大歓迎され、給油を終えた日承丸は、石油を満載して帰途についた。
イギリス軍の基地があるマラッカ海峡を大きく迂回して、スンダ海峡経由で裏をかいたが、途中でイギリス軍のフリゲート艦「バンカーベイ」に見つかり、停船警告を受ける。

しかし、船長の盛田は「イランも日本も独立国で正当な取引である」と強気で跳ね除けそのまま突っ込んだ。
スレスレのところでイギリス船は、方向を変えて衝突を免れた。その後の追跡もなかった。

多くのマスコミが構える中、無事に川崎港に到着した日承丸。
店員一同を満足そうに見つめた鐵造。石油を無事届けて、戦争後もずっと戦い続けた鐵造の戦いに一区切り着いた瞬間だった。

鐵造は96歳

その後、鐵造は96歳まで生きた。亡くなる直前、離縁したユキの子孫と対面し、ユキのその後を回顧して涙する鐵造。
そして、大勢の息子、孫達に囲まれ、海賊と呼ばれた若き日々に思いを馳せるのだった。

 

感想

国岡鐵造(出光佐三)という男の魅力が詰まった作品でした。
信念や志は一貫したもので、困難に向かっては打開策など、他とは違う発想を思いつき、それを実行していく人間です。その姿に惹かれて他で働いている人も辞めてまで付いていこうとします。

岡田准一の特殊メイクにも注目です。
20代から30、40、50、そして最後の80代まで1人で演じています。普通は80代なんて別の役者になりそうなもんですが、特殊メイクで60代や80代を演じています。
顔や声はそれなりにできていましたが、姿勢は背筋がしっかりしていたので、ちょっと60代には見えないところもありましたが、お見事でした。

 

まとめ

原作は百田尚樹さんの400万部突破の小説「海賊とよばれた男」です。2時間半の作品でしたが、映画では描ききれていない部分もあると思いますので、原作を読んでみても熱くなれると思う作品でした。

創業者「出光 佐三」の語った言葉、「士魂商才」とは「武士の精神と商人としての抜け目ない才能とを併せもっていること。」

生活を質素にしたり、われわれが経費を節約するというようなことは金を尊重することで、奴隷になることではない。
それからまた、合理的に社会・国家のために事業を経営してそして、合理的に利益をあげる。これは金を尊重することだ。
しかしながら、昔の商人のように人に迷惑かけようが、社会に迷惑かけようが、金を儲けりゃいい。これは金の奴隷である。それを私はとらなかった。
しかし、私は金を尊重する。昔の侍が金を尊重することを知っておったならば私の先生が私に書いてくださった額にあるように
士魂商才 侍の魂を持って商売人の才を発揮せよ。
この士魂商才が武士によって発揮されて日本の産業は、明治時代に外国のいいところを採り入れて、りっぱな事業家がたくさん出たと思うのです。
出展:http://www.idemitsu.co.jp/company/history/founder/archive/sp11.html

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